main image

メディア掲載記録

自分が行ってきたこと、これからやろうとしていることが、メディアの方々から注目され、多くの方に見ていただけることをとても嬉しく思っています。紹介された仕事はみな、わたしひとりではできなかったことです。
わたしと一緒に辛苦を共にしてくれる仲間たちがいなければ、何一つ成し得ませんでした。素晴らしい仲間たち、ここに掲載する業績すべては、きみたちの業績でもあります。ありがとう。

BS朝日 命を救う凄腕ドクター
2020年9月5日

術後の患者さんたちがどんな風に日々を過ごされているか。外来に来られた姿だけではわからない部分がたくさんあります。そこにスポットライトを浴びせてくださいました。患者さんの笑顔は、私たちの笑顔の原動力。


日本テレビ 世界一受けたい授業
2018年10月13日

私たちは新たなホスピタリティの概念を病院全体で共有しています。病気さえ治れば良いのではない。心身ともに癒されて真のホスピタリティと呼べるのだと思います。日テレさん、そこをクローズアップしてくださりありがとうございました。

2017年9月25日

関東経済産業局の海外向けHPにMedical Takumiのひとりとして選ばれ、掲載された。20年以上続けている胃内手術を、自ら開発した器具を使ってさらに進化させた手術を動画で見て欲しい。世界に発信できる匠であり続けたい。上から4人目。

2017年3月13日

私は職人。道具と技術とこころを使って仕事をしている。納得いく道具がないときは、自分で作る(作ってもらう)しかない。BJニードルはニチオンの職人さんたちと魂を込めて作った手術器具だ。秘話も含めた感動のストーリー。

2016年9月1日

これまでにもたくさんの外科医を手術してきた。外科医に信頼される外科医であることを誇りに思っている。医師から推薦を受けた外科医のリストに名前が掲載されたことに喜びを感じている。この喜びをさらなる技術力と診療の力に変えていきたい。「文藝春秋」2016年9月1日号

2016年4月

生い立ち、走り続けた少年時代、ファインダーから見た自然の美しさ、山ごもりからの帰還。メディカルプリンシプル社、中村社長でしか切れない切り口で、金平の人生の断面が描かれる。「ドクターズマガジン:ドクターの肖像」2016年4月号

2016年4月

名医とは何だろう。診断がうまい医者か?手術がうまい外科医か?知識が豊富で、技術力があれば名医か。自分が同じ病気になったら自分の手術を受けたいと思うか?自問は続く。三菱UFJビジネススクエア「SQUET」2016年4月。

2015年11月13日

「挑む」という言葉は好きだ。死ぬまで挑み続けたい。挑むことは守ること。挑むことは愛すること。挑むことは生きることだと思っている。このような素晴らしい本に掲載されるに値する技術と精神を持ち続けたい。Kadokawa社発行(2015年11月13日)「がん最新治療に挑む15人の名医」

2015年10月

内視鏡外科では世界で最も購読されている雑誌Surgical Endoscopyに金平の胃内手術の論文が掲載されました。患者さんの胃を徹底的に残すために開発した技術が世界に評価されたことを嬉しく思います。

2015年10月

紀元753年鑑真はそれまでの度重なる苦難を乗り越え、命を賭して日本に来航した。自らが信じる仏教を日本に伝えるため。2012年に私は車いすと松葉杖で北京を訪れた。医療の国際交流には情熱が必要だと思う。私の病院の案内はすべて中国語と英語が併記されている。日本の医療国際化はこれからが勝負だ。

2015年8月

週刊文春:世の中には有名じゃないけどオペがうまい外科医はたくさんいる。私もそんなオーバーアルツトに若いころ習った。中川先生。彼の開腹手術をラパロで具現することを目標としてここまでやってきた。このような名誉あるリストに載せていただいたのは中川先生のおかげだと、感謝している。

2015年3月1日

内視鏡外科黎明期には、大きな逆風が吹いていた。内視鏡外科手術は200年の外科の歴史に対する冒涜か?やっと芽生え始めた革新的技術に立ちはだかる保険制度の壁。全国の内視鏡外科医が震え上がった事件とは。それでもあきらめなかったひとりの外科医の話。

2014年3月14日

日テレ 未来シアター:難しいと言われる内視鏡下の手縫い縫合。金平の縫合技術を伝承する若手医師、亀井が直径2㎜の器具で縫合に挑む。世界最小のきずで行うヘルニア手術は成功するか。仲間たちに支えられ、技術は伝承され昇華していく。

2014年1月

日刊ゲンダイ 看板診療科:メディカルトピアに結集した内視鏡外科の猛者集団。臓器温存。それはおれたちの合言葉。大切な臓器は徹底的に残す。

2014年1月

テレビ東京  Letters:胃を温存する。プライドにかけて。技術だけじゃなく、冷静な戦略と温かい気持ち。人生の分岐点を通過した患者さんからの、感動の手紙。そして外科医は道を歩き続ける力をもらう。

2014年1月

FRIDAY誌に掲載:子どものころから「みんなと同じ」が苦手なあまのじゃくだった、という彼の医師としての転機は32歳。できるかぎり臓器を残す努力と工夫をしたい。

2013年12月

高校生の時、金平がなりたかった職業は医師ではなかった。研修医時代、金平は実は心臓外科医を目指していた。ドイツ留学の本当の理由とは。平成のブラックジャックはどこからやってきたのか。7ページにわたる秘話満載の半生記。

2013年10月

夢の扉+第2弾 TBS 30分番組:世界が注目する不思議な金属ベータチタン。これを応用した新しい手術器具の開発に、二九良三と金平永二が本気でチャレンジ!

2012年11月

単孔式内視鏡は、へそを切ってきずを目立たなくさせる手術。安全に行うために金平が自ら開発した器具とは。TEAM JAPAN が取り上げた最新の手術トレンド。

2012年8月

金平が単孔式内視鏡手術にこだわる本当の理由とは。ドイツの恩師Buess先生への思いをこめて。

2012年2月

技術の伝授とは何か。そしてもっともっとライバルを増やせ。それは先駆者の義務だ。

2011年7月

夢の扉 TBS 30分番組:どうしてそんなに内視鏡外科手術に夢中になれるのか。平成のブラックジャックの生きがいとは? 幸せとは? 手術を受けた患者さんたちの生の声と、実際の生活も。夢の扉+から熱いメッセージ。